20230226 ツーリズムチーム 古道座談会

伊豆学研究会の橋本先生(右)、多岐に渡る松崎のお話をしていただきました。

2月26日(日)、松崎町環境改善センターにて、ツーリズムのチーム主催の「松崎町に残された古道と松崎の歴史をめぐる座談会 ~地域をむすぶ古道を資源と考える~」が開催されました。
松崎町に残された古道や地域資源を活用したツアーを考えているツーリズムのチームに「ヒント」を与えてくださる専門家の先生をお招きしたこの座談会。江川文庫学芸員の橋本敬之先生、ブラタモリでおなじみ火山学者の静岡大学小山真人先生(うさはかせ)、静岡大学日本史学研究室の貴田潔先生(日本中世史)と松本和明先生(日本近世史)、コーディネーターに静岡大学の山岡拓也先生(考古学)を迎えた贅沢な座談会となりました。(会場の関係でご案内は町内に限らせていただきました。)

迫力ある「掘割」の跡

まずは、松崎町だけでなく伊豆のジオはお任せ、元ジオガイドの渡辺攻さんが、2030松崎プロジェクトのツーリズムチームの活動を紹介しました。ツアーづくりのための踏査を進めており、岩科川の源流である大池周辺の踏査をおこなった際に、注目した用水を導くための「掘割り(人工的に造られた水路)」を紹介。迫力のある景色に会場からどよめきが起こりました。

静岡県3次元高密度点群データから作成した大池周辺の立体地形図

小山先生は静岡県高密度3次元点群データの概要と、どのようにこのデータを生かしていくことができるかを説明。3次元点群データを用いると地形が鮮明に分かることから、尾根に手を入れた掘割りの部分がはっきりと分かります。また、立体のデータなので水路の経路に沿った標高変化を分析できることから、この掘割りが人工的に水を流すために造られたものであることも分かります。3次元点群データを用いると、樹木の下の地形が分かることから、古墳の場所や山城の場所が推測できることも大きなポイント。新しく地域資源を発掘し、ツアーにつなげていくことができるのではないでしょうか?

中世史が専門の貴田先生(左)

貴田先生と松本先生はともに、松崎町を訪れるのは初めてとのこと。先生お二人には、その専門分野から、どのような資料を見るとその時代の道や土地利用、生活が分かるのかというお話をしていただきました。
まずは、貴田先生から。貴田先生は中世、鎌倉時代~戦国時代の研究をされています。静岡県史をもとに松崎町について調べた内容として、地区ごとに残された神社の棟札(創建年月日や住職名、創建の目的などの書かれた札)が多く、船に関わる資料が多く残っているとのことでした。村のどこに何があったかを調べるには、江戸時代の検地の結果をまとめた検地帳を調べることが重要で、これを統計として見ていくと、現代に残るエコな景観を歴史的に検証していくことが可能になるということです。

近世史が専門の松本先生(左)

次に松本先生。松本先生は近世、江戸時代の研究をされています。中世と同じく、神社仏閣 の棟札や灯籠、狛犬の土台などから当時の交流が分かるとのことで、氏神氏子関係や宮座(神社の運営機構のようなもの)から見えてくるものあるかもとのこと。当時の町の特徴として、遠方の掛川藩が統治していることや、朱印地(幕府・大名より領有を認められた神社・寺院)が多いことがあげられるとのことでした。村ごとの石高が記載されている郷帳は重要な資料であり、遠く三島の助郷村(宿場へ人馬を提供する役割)であったことなどにも注目するといろいろなことが分かってくるのではとのことでした。

3時間では足りない、色々な側面から見た松崎の歴史の話

貴田先生と松本先生の話を受け、長年、松崎町に残された古文書の研究に携わって橋本敬之先生がお話をしました。多岐のトピックに渡る話となったため、印象に残った話をピックアップします。
・松崎には伊豆八十八ヵ所霊場のお寺がいくつかあるが、そのお寺をつなぐ道は信仰の道であり、昔の人が歩いた道。
・検地の履歴を見ると、開発が終わっているかどうかが分かる。例えば石部の棚田は慶長3年の時にはすでに作られている。そこから見て、すでにこの時には前述の掘割りはあったと考えられる。ここに地名があるということはそこで米がつくられ、その村をつなぐ道があったであろうと推測できる。
・文覚山円通寺は「鎌倉殿の13人」の時にもっと注目されてもよかったのでは?文覚(市川猿之助が演じた)源頼朝に挙兵を決断させた「父のドクロ」のシーンは印象的。頼朝の 伝説が残っている場所もつながる道があったと考えられる。
・松崎が「風待ち港」であることが非常に大事、船宿をしている家に古文書があるかも。
・江戸時代から炭は重要な産物。近代以降は、炭窯から炭をそりで運び出す道「橇道(そりみち)」として利用された。
・牛で荷物を運搬していた。江戸時代には野牛がいた。明治時代に岩科に牧場があった。
・石丁場はたくさんあるのに松崎から運ばれたという資料がない。

定員いっぱいの会場、みなさんの関心の高さが伺えます。

松崎の歴史にお詳しい橋本先生も驚く大発見がこの時にありました。それは貴田先生の提示した資料、慶長3年の検地帳の中に「わさひさわ=山葵沢」という地名があったことです。有東木から来たと言われているワサビが、すでに松崎で栽培されていたとすれば、それは大きな発見とのこと。
調べればもっともっといろいろなことがわかる、と締めくくられたこの座談会。終わった後も、参加者の方が各先生方に熱心に質問をする姿がありました。「古道」は昔の人たちの暮らしがそこで営まれていたという証。暖かくなってきたことですし、ちょっと歩いてみたくなりました。
※歴史に明るくないため、間違っている部分がありましたらすみません。