20241123 伊豆石文化講座 午前:講義

見学できる石切り場「室岩洞」という地域資源を有する松崎町

伊豆半島やその周辺で採れる石材の総称である「伊豆石」。松崎町は、「伊豆石」を切り出していた石切り場が、観光用に一般に開放されている「室岩洞」を有し、町の中にも伊豆石を使用した蔵や塀、道祖神などがあります。この伊豆石について理解を深め、地域資源として保全・活用していくためにも、11月23日に松崎町環境改善センターにて、「忘れられた市井の歴史”近代伊豆石産業史の解明”」と銘打った伊豆石文化講座を2030松崎プロジェクトのツーリズムチームと三余塾チーム主催で開催しました。

午前は、沼津市を拠点に伊豆石文化を研究している一般社団法人伊豆石文化探究会の理事である鈴木正之氏と、会長である剣持佳季氏から講演をいただき、午後は松崎町内の伊豆石を実際に見に行くフィールドワークをおこないました。
午前の講義には松崎町の深沢町長がいらしてくださり、開会のご挨拶をいただきました。

鈴木正之氏講演「伊豆石について」

伊豆石は建築資材として広く利用されてきた石材で、沼津では建築用資材としてお風呂や玄関に使われ、温泉地ではお風呂の青い石として使われ、東海岸では江戸城の築城石としてのイメージが強いといった地域ごとに異なるイメージが形成されています。
伊豆石は一般的に、伊豆半島が陸上火山時代に形成された安山岩系の「伊豆堅石」と、海底火山時代に形成された凝灰岩系の「伊豆軟石」という2つの系統に分けられます。
利用のされ方を歴史でみると、
古墳時代後期:横穴式石室や凝灰岩の石棺に利用され、伊豆の国市には「白石の石棺」という石棺が残っています。
中世(14世紀):五輪塔や宝篋印塔といった石塔の材料。
近世初期: 堅石が江戸城の築城用石材として、真鶴半島を含む伊豆半島東海岸北部や西海岸の戸田・西浦などで産出されました。
近代: 凝灰岩系の伊豆石は建築資材として広く使われ、現在も採掘跡が残っています。

伊豆の国市白石の石棺

伊豆石で造られた蔵について、沼津市狩野川河畔では多くの伊豆石で造られた蔵が現存しています。静岡県全体に約900棟が現存していますが、伊豆東部で全体の70%、そのうち沼津が35%を占め、柑橘の保管や隧道に利用されてきました。
同じ沼津市内でも、石蔵の石が江浦では白っぽい石、西浦では黄色っぽい石、原では表面が滑らかな石、金岡では斜交層理が見られる石と、凝灰岩といっても千差万別です。
伊豆石の現状と課題としては、関東大震災以降、コンクリートが普及し石材の需要が減少。第二次世界大戦を境に採石場の多くが消滅しました。現在、石蔵の修理は難しく、毎年数棟が解体されています。今も放置されたままの石丁場はありますが、復活させるにはコスト、人件費がかかること、安全性の問題、所有者との関係といった法律的な問題もあります。
伊豆石は、伊豆半島地場産業として地域の生活を支えてきました。特に沼津には多くの石蔵が現存しており、その価値を広く知ってもらうため、伊豆石文化探究会が調査・研究をおこないながら、大谷石のような日本遺産登録を目指しています。

 

剣持佳季氏講演「伊豆石の価値の証明」

まずは、江戸城およびその周辺の都市の建設、西洋建築をつくるためにも伊豆石が使われたという「東京をつくるために伊豆石が使われた」というコンセプトで、外国の方に伊豆石を紹介するにはといった視点で作ったYoutubeの紹介がありました。

youtu.be1 日本の文化政策と歴史まちづくりの課題、2 これまでに判明させた近代伊豆石産業史の意義、3 伊豆石産業史を継承していくには、という大きく分けて3つのお話をいただきました。

日本の文化政策と歴史まちづくりの課題

  1. 文化財が維持管理できずに解体されている現状
    例として、下田市で初めて国の登録有形文化財に指定された伊豆石の建物「南豆製氷所」が2014年に解体されました。
  2. ヘリテージアラート(遺産危機警告)の発令
  3. 地域総がかりでの文化財継承
    地域の文化財の総合的な保存活用のため、ブランディングをし、ストーリーでつないでいくことが必要となるが、委託先の問題で長期的な計画が立てられない状況にあります。
  4. 未指定文化財の問題
    例えば、石蔵をカフェにしている場合、文化財に指定できないといった事例があります。

これまでに判明させた近代伊豆石産業史の意義

  1. 法整備や税金の徴収などにおいて、多くの明治の偉人が関わった 
  2. 半島全土をあげた一大産業であった
    大正期には100を超える事業者数があり、海路よりも陸路が発達してきたことから、事業者は明治時代には伊豆南部に多く、大正時代には北部に多くなっています。産地としては、これまで中伊豆のエリアの産業が東京とって重要であったことが分かっていなかったので、これをはっきりさせたのは大きな成果です。
    海路で運ぶのに使われたのは、多くは「キミサワ型」と呼ばれる西洋式帆船で、その原型は沼津戸田村で造られたヘダ号です。
  3. 京浜の近代都市形成に貢献 
    伊豆石は明治初期の近代建築に利用されており、お台場、韮山反射炉にも使われています。また、銀座の煉瓦街、横浜の外国人居留地の建物にも使われています。
  4. 半世紀、首都圏向けの最大石材産地
    明治中期の東京で産額の7~8割を静岡県が占めており、建築資材のシェアを同じ地域がこれだけ占めているということはなかなかありません。大正初期には陸運で運ぶ方が便利になってきたことから、大谷石に逆転されてしまいます。

伊豆石産業史を継承していくには

東京を作るために利用されていたすごいもの、というストーリーで伝えていきたい。パリの街は地下から産出された石材でつくられたが、地下の石材がない東京では伊豆半島に石材を求めました。駿府城久能山東照宮の建設、徳川家康の墓石にも伊豆石が使われています。お台場、反射炉に使われたことから国防に尽くし、下田の外国人の受け入れが始まるとその需要に応じるための建物建設に使われ、その技術が横浜に移転され、東京銀座煉瓦街の建築に反映されました。
伊豆には伊豆石を使った温泉があります。東京の近代建築を見て、伊豆の石切り場を見たら、伊豆石の温泉に浸かって疲れを癒す。特に松崎町には室岩洞という見学できる石切り場がありまず。これまでの明らかにしてきた伊豆石の研究成果を観光や地域の良さの再発見に使ってほしいです。 

鈴木さん、剣持さんありがとうございました。質疑応答ではたくさんの質問があり、参加者の方の伊豆石への関心の高さがうかがえました。